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紀伊勝浦からバスに乗って一時間半。

11時36分、熊野本宮に到着だ。

 

神社の入り口にある鳥居に真新しさはない。鳥居表面は樹木の茶色ではなく、石材の灰色に近い色合いをしている。長い間、雨風を一身に受け続けた証拠だ。年月をかけて醸造された風格がある。

 

水銀の元となる辰砂のありかを示す目印としては相応しくないだろうが、鉱脈としてのの価値が変わった今の時代、色褪せていた方が歴史ある神々がいるやんごとなき土地の門番に、相応しい姿だと思う。

 

さて、ここで迷った。時間がニ十分ほどだけだが、余っている。このまま参拝するべきか、後回しにするべきか。熊野本宮参りは今回の目的の一つではあるがメインのモノではない。主目的は熊野古道を歩くことだ。

 

熊野本宮参りのために駒野古道を歩くのではない時点で、手段と目的が逆転している。昔の信心深い人が聞いたら、熊野古道を歩かずともお参りできるというあまりの贅沢さ、そして、熊野本宮参りがメインの目的でないなどと言ったら、怒髪天を衝かれかねない。が、そこは現代文明の発展が目覚ましいということで許してもらいたいと思う。

 

ともあれ今回は歩くことが目的だ。そして出発地点はここではなく、ここからさらにバスを使って15分ほど行った場所だ。バスの出発時刻は12時ジャスト。これを逃すと次のバスは一時間後だ。そうなると、予定が、とん、とん、とずれ込んで、結果、紀伊勝浦へ帰るバスに間に合わなくなる。だから、そのバスに乗り込むのはマストの条件だ。

 

しかし、目の前には高校時代から憧れていた熊野本宮がある。逸る気持ちは行けと言っている。理性はバスを待てと止めている。悩んだ挙句、もう来る機会がないかもしれないから、全部やりたいことをやっておこうという結論を出した。

 

鳥居を超え、非日常の領域に足を踏み入れる。すぐに100段はあろうかという階段が見えた。早速少し後悔した。これ、間に合うのだろうか。一抹の不安はよぎったが、迷っている暇も惜しいので、真っすぐ上に続く階段を駆け上る。

 

息を切らせて大社へたどり着くと、社務所で御朱印をお願いし、参拝する。取り急ぎ、第一宮の本宮に祀られたご主神にのみ挨拶をして、踵を返す。不敬だが後のご祭神は、戻ってきてからにする。御朱印長を回収し、お守りと御籤を頂戴して階段を下った。半端ながらも、やろうと思っていたことはすべて終了した。あとはバスに間に合わせればいい。

 

バスは既に到着していて発射する直前だった。慌てて飛び乗る。乗客は自分のほかに二人。若いご夫妻の目的地は自分と一緒のようだ。

 

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バスで山道を進むこと十五分。熊野古道、初心者向けコースの出発点、発心門王子に到着した。発心門は思った以上に整備された場所だった。拝む場所があり、謂れを書き記した石碑があり、アスファルトの壁面があり、山の地面を車道が分断している。古道、というには少し現代文明の香りが強い。ちょっと残念に感じた。

 

ところが実際に道を歩くと、そんな思いはどこかへといった。下だけの楽な初心者コースと聞いていたが、とんでもない。古道は整備された山道で、獣道でない。きっと、槍ヶ岳やk2だのに登る人たちからすれば非常に楽な部類に入るのかもしれないけれど、久々に山に来た人間からすれば、難行苦行の名に恥じない難易度だ。

 

発心門から熊野本宮までの道のりは、下りと上りが入り混じる。加えて、地面の質が一定でない。最初はアスファルトで舗装された道、続けて地面を平らにならしただけの道になり、岩を敷き詰めて段差とした道が現れる。ころころと変化する地質が、足が道になれる前に変化を要してくるので、ひどく疲れた。

 

この日は湿度温度も高い事が、さらに疲れを呼んでいた。三つほど持ってきたタオルはどれも濡れ雑巾と化していて、汗を吸い取る機能を失っている。汗を拭うために肌に這わせるたびに、じっとりとした水っ気が張り付く感覚は不快だ。

 

そのままにしておくと、地面に垂れる汗でいっそう不快になるので、べちゃりと生ぬるい水分が肌の上を這う、気持ちの悪さを我慢しながら、仕方なく使う。塩飴と水分を摂取しながら進むが、そのすべてが汗として外に出て行っている気がした。

 

途中、あまりに疲れてきて、頭がぼーっとしだした。通常なら刺激となりうる、広がる自然豊かな景色も、情緒あふれる民家並ぶあぜ道も、ただ目の前を通過していくものに過ぎなくなる。道半ばを超えたところで、山道に入り、片方が山の斜面、片方が崖という景色に出くわす旅、崖から飛び降りたら楽になるのだろうかと、幾度なく考えた。なんとも軟弱な神経だ。

 

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そんな折、蘇生の森 熊野古道、と刻まれた石柱と遭遇した。熊野は変生や甦りの伝説が残る土地だ。負の感情から竜に身を変えた安珍清姫や、餓鬼より蘇生を果たした小栗半官などのように、悪しかれ良かれ、今までの自分と違う存在へと変化することのできる場所。

 

そうだ、今までと違う自分に変わりたいから、僕はこの地にきたのだ。いつも道半ばで挫折し、定めた目標に対してまともに果たすということをしてこなかった。そんな自分から脱却したいと願ったから、変化の伝承が数多く残るこの地を訪れたのだ。このままでは、今までの自分と何も変わりがない。

 

まずは本宮までたどり着く。それからのことはそれから考えよう。

 

 

石柱を前にごちゃごちゃと考えていると、気持ちに火が入った。飛び降りるのは後でいいという気分になる。やろうと思えば、いつでもできるのだ。別に今である必要はない。それよりは、今できないことに向けて情熱を注ぐ方が、よほど魅力的に見えた。

 

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少しだけ晴れた気分で疲れた体を動かしていると、目の前の景色が開けた。森の中が切り開かれている。人の手が入っている場所だな、と思った。広場には二組の夫婦がいた。彼らは遠くを眺めながら、仲良く談笑している。

 

さて何を見ているのだろう、と視線を彼らと同じ方向にやると、大きな鳥居が見えた。あれは熊野本宮近く、大斎原の大鳥居だ。とすれば、ゴールはもう目の前か。ようやく目的地が見えてきた。

 

現金なもので、疲れている体も活が戻った。手持ちの水分を残さず消費すると、急ぎ足で下り坂を進む。一定間隔に並ぶ木の階段をすっ飛ばし、凸凹した石が敷き詰められた道を飛び跳ね、木製の橋を渡り、さらに進むと、再び視界が開けた。

 

森が終わったのだ。

 

目の前を見下ろすと、同じ造りをした家々が群をなしていた。住宅団地へと通じる階段を下り、十字路を横断し、熊野古道案内の看板に従い、住宅街を進む。一キロも歩かないうちに、鳥居が見えた。近づき、傍の案内板を眺めると、この場所が熊野本宮の裏側である事を示している。

 

ここに旅路は終わった。ほぅ、と一息はく。振り返る事無く、境内の中へと足を進めた。境内をかけ、八咫烏を祀る神社に立ち寄り、本宮の社屋前まで進んだ。参拝を済ませ、二時間ほど前に上った階段を再び下り、本宮前鳥居に立つ。

 

時計を見ると、時刻はまだ午後三時になっていない。予定より一時間半も早い。当初は四時十分のバスに乗る予定だったが、一本前の三時ニ十分のモノに乗ることができる。熊野古道を歩いたことより、そんなことの方が嬉しかった。

 

 

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近くの店でそばを食べてもバスの出発時刻まではニ十分も余っていた。何かをして時間をつぶそうとあたりを見渡すと、大きな鳥居が見えた。大斎原だ。あれこれせずに、五分で行けるところまで行って、そのまま戻ってくれば、十分に間に合うと判断して、そちらへ向かう。

 

バス停より裏道に入り、田んぼの通路を通る。そばを流れる水路はきれいなもので、砂利や土が混じっていない。稲穂が青く萌える田んぼも同様の清潔さがあった。かつて宮崎に住んでいたころ、足を踏み入れた田んぼはもっと泥臭く濁ったものだった気がするが、神域ゆえの清浄さなのだろうか。

 

近くまで寄ると、鳥居の巨大さに驚いた。鳥居の柱は十人はいないと囲めないほどに大きな太さで、高さは二十人分ほどはある。参道は奥に続き、人がたむろっているのが見える。もっと奥まで行けば、何かあったかもしれない。

 

けれど、その時点で5分経っていたので、引き返した。来ようと思えばいつでも来れる。だから今回はここまでにした。

 

明日は大門を登って、那智大社と大滝。どちらも迫力があるのだろうか。楽しみだ。